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大阪高等裁判所 昭和47年(ラ)428号 決定 1973年5月17日

抗告人

株式会社弘文堂書房

右代理人弁護士

荻津貞則

相手方

株式会社ミネルヴァ書房

右代理人弁護士

前堀政幸

外一名

主文

本件抗告を棄却する。

抗告費用は抗告人の負担とする。

理由

(抗告の趣旨および理由)

別紙記載のとおり。

(当裁判所の判断)

一本件疎明資料によれば、次の事実を一応認めることができる。

(一)  旧弘文堂(明治三〇年合資会社弘文堂書房として設立、昭和二三年組織変更して株式会社弘文堂となる。)は、業界において堅実な地位を占める著名な出版業者で、昭和二一年以来久松真一著「茶の精神」を始めとするアテネ文庫シリーズを、同二三年来西谷啓治著「ニヒリズム」を始めとするアテネ新書シリーズを、またその頃以来アテネ小辞典シリーズを各出版販売したが、これらの出版物にはすべて別紙目録(一)の図形(以下本件図形という)が付されていた。右各シリーズの総出版点数は、昭和三六年六月までには総計四五〇点に達し、出版部数も尨大な数に上り、これらはすべて書籍取次店、小売店を通じて全国的な規模で販売され、また右販売に当つては、日刊新聞、雑誌等を通じて広く宣伝広告がなされた。

(二)、旧弘文堂は、昭和三六年頃から次第に経営不振に陥り、昭和四一年一二月不渡手形を出して倒産し、営業活動を停止した。そして、一方において、昭和四一年一二月二七日債権者の一部によつて株式会社弘文堂新社(昭和四三年一〇月三〇日株式会社弘文堂と、商号変更)が、他方において、その頃旧弘文堂関係者によつて抗告人会社が、各設立され、これら二社が旧弘文堂の営業を承継することとなつた。

(三)、抗告人会社設立の中心人物は、Sであつたが、同人はまず、昭和四一年一一月三〇日旧弘文堂から前記アテネ文庫シリーズ三〇〇点、アテネ新書シリーズ八四点、アテネ小辞典シリーズ二一点のほか、支那学関係の書籍一切の出版権ならびにその在庫品および紙型を譲受けるとともに、旧弘文堂の総合図書目録および総刊行物原本をも譲受け、且つ旧弘文堂の商号に類似する「株式会社弘文堂書房」の商号を使用して出版事業を行なうことの許諾を得、ついで自ら発起人となつて抗告人会社を設立し、同社に対し自己の有する右の権利のすべてを譲渡した。

(四)、かくして抗告人会社は、旧弘文堂に代つて同社の在庫書籍を販売しただけでなく、さらに新書籍の出版販売をもはじめ、昭和四五年四月にはアテネ新書の名を冠した出版シリーズ(但し、その構成書籍は、一部を除き旧弘文堂のアテネ新書のそれと異なる。)を出版販売したほか、右津照璽著「天台実相の研究」をはじめとする多数の学術書を出版販売し、これらの書籍にはすべて本件図形を付した。

(五)、相手方は、昭和二七年二月一九日に設立せられた出版事業を目的とする会社であり、当初は別紙目録(三)記載の図形を付した書籍を出版販売していたが、昭和三一年頃から別紙目録(二)の図形(以下相手方図形という。)を付した別紙物件目録記載の書籍その他の書籍を出版販売した(以上の点は当事者間に争がない。)。その出版分野は、各種の学術専門書、文部省検定教科書、高等学校用参考書に及び、昭和四六年一二月までの総発行点数は二、二四四点、発行部数は五四八万一、五四九冊で、これらは書籍取次店、小売店を通じて全国的規模で販売され、右販売に当つては、日刊新聞、雑誌等を通じ、また昭和三五年頃からは相手方発行のダイレクトメート「ミネルヴァ通信」を通じ、広く宣伝広告がなされた。

二右一の(一)認定のアテネシリーズの出版販売の規模態様によれば、本件図形は、旧弘文堂の商品であるアテネシリーズの書籍を示す表示として全国的に周知性を得ていたものと認めるのが相当である(これに反し、本件図形が旧弘文堂の「営業を表示する標章」として周知性を有していたものとは認め難い。けだし、本件疎明資料によれば、旧弘文堂はその出版図書中アテネシリーズ以外のものには他の図形を付しており、右図形も亦全国的に広く認識せられていたことが一応認められるからである。)。また、右一の(三)および(四)認定の事実と、抗告人会社による本件図形の使用に対し、旧弘文堂および株式会社弘文堂新社から何ら異議が出た形跡がない事実とを併せ考えると、抗告人は、本件図形の使用を、Sを介して旧弘文堂から営業とともに承継したものというべきである。なお、相手方は、抗告人が出版権の譲渡につき著作権者の同意を得ていないことおよび三年の期間経過により出版権が消滅したことを根拠として、抗告人は無権利者であると主張するけれども、本件において問題となるのは、抗告人がその出版物に本件図形を付しうるか否かの点であつて、個々の書籍につき出版権を有するか否かの点ではないから、右主張につき判断する必要はない。

(二)、書籍の価値図、その内容によつて定まるものであり、内容は著者の力量を反映するものであるから、読者が書籍を購入するに際し選択の基準となるものは、第一次的に著者であることはいうまでもない。しかし、だからといつても出版社を全く度外視してよいというものでもない。購買者にとつて、その欲求に適つた書籍を数多く出版する出版社と、そうでない出版社とがある場合、その志向が自ら前者の出版物に向うことは経験則の示すところだからである。この意味において、出版社もまた、第二次的にではあるが購買を誘引する要素となるものであり、したがつて、書籍の出版元に混同を生ずるときは、当該出版元たる出版社の営業上の利益を害するおそれがあるものというべきである。

ところで本件において、相手方図形は左向きの「フクロウ」であり、水平の止り木に止つているのに対し、本件図形は、右向きの「フクロウ」でありとまり木はない。そのほか細部の輪廓等において差異が存するものの、両者とも全体を黒で塗りつぶし各部の線分等を白ぬきにした点描法を同じくし、また各部の形状位置等がよく似ていて、全体として受ける印象には顕著な差異はないから、時と処とを異にして見た場合見る者をして両者を混同誤認させる可能性はありうる。したがつて、本件図形を付した書籍と相手方図形を付した書籍とが併行してつ販売せられるときは、両書籍の出版元が同一であるとの誤つた認識を購買者に与えるおそれはあるものといわなければならない。

(三)、しかしながら、当裁判所は、抗告人の本件仮処分申請はこれを許すべきでないと判断する。その理由は次のとおりである。

本件疎明資料によれば、抗告人が本件図形を使用する場合には、右図形に近接した場所に「株式会社弘文堂書店」「アテネ文庫」「アテネ新書」等の表示がなされ、相手方が相手方図形を使用する場合には、同じく右図形に近接した場所に「株式会社ミネルヴァ書房」「ミネルヴァ全書」「社会科学選書」等の表示がなされていること、および右社会科学選書が相手方の出版シリーズであることは一般に認識されていることが一応認められる。これらの事実によれば、本件図形と相手方図形との間に前認定の類似性が存するにかかわらず、購買者が当該出版物につき、その出版元が抗告人であるか相手方であるかを区別することは比較的容易であると考えられ、このことと、前示の出版社の如何が購買の誘引に果す役割が第二次的なものにすぎないこととを併せ考えれば、相手方の相手方図形の使用により抗告人が被る営業上の不利益はかりにそれがあつたとしても極めて僅少で、仮処分により右使用を差止める必要性は認められない。

三以上の認定によれば、抗告人の本件仮処分の申請は保全の必要性を欠くから、これを却下した原決定は結局正当で、本件抗告は理由がない。よつて本件抗告を棄却し、抗告費用は抗告人に負担させることとして、主文のとおり決定する。

(岡野幸之助 入江教夫 大久保敏雄)

抗告の趣旨

原決定を取消し、抗告人(債権者)の申請の趣旨どおりの御裁判を求める。

抗告の理由

一、原決定の要旨は、『債権者の使用する図形は債権者の営業を示す表示として全国的に周知性を得ており、且債権者と債務者のそれぞれ使用する図形が類似するものであるが、債権者の本図形には「株式会社弘文堂書房」「アテネ文庫」「アテネ新書」等の、債務者図形には「株式会社ミネルヴァ書房」「ミネルヴァ全書」「社会科学選書」等の表示が例外なくそれぞれ近接した場所になされていることが認められるので、債務者と債権者は、その系列会社であるか否かは明確に区別されること、又一般に書籍としての商品価値は著者、書名、内容出版社等にあり、カバー紙箱等に使用されている図形が取引上重大な関心を持たれ、あるいはそれが商品の価値判断の資料とされて購入の誘因となることは殆んどなく、またその図形が紛らわしいが故に誤つて取引されるということも通常起るべき事例とは考えられないこと』を以つて債権者の本件申請を却下したものである。

二、然し乍ら原決定には事実の誤認やその理由に齟齬がある。即ち原決定においては、書籍に附される標章とくに本件の如き図形のマークについて、その認識を誤つている。

書籍に附されるマークは、出版社を示すための営業標識であると共に商品取引社会において商社、メーカー等一定の一つ又は多数の営業その他商品を取扱う者との関係において個性化された商品の同一性を表示するため商品について使用される文字、図形、記号等感覚的に把握する手段たる商標としての機能をも有し、一般に書藉類においても、「有斐閣」「岩波書店」「日本評論社」のような出版社名を書物の題名や著者名の下に表示しあるいはこれら書店のマークを書物の表紙やケースに表示する場合には、これらの標章が商品の出所を示し、かつ自他商品を識別する標識としてのみ使用されているものであることは明らかであり、従つて、その商標としての識別力は、他の商品と同じような基準により判定して差支えないものである。(疏甲第二〇号証参照)。

三、従つて書籍に附されるマークも電気製品や医薬品、さらには菓子等に用いられる所謂ハウスマークの用い方(疏甲第二一号証の一乃至七参照)と何ら変るものではなく、况んや使用する商品との関係において何等意味を持たないマークや造語の如き商標は識別力のある商標のなかでも個性化された一定の商品をあらわすものとして一般大衆に認識させるためには努力を要するが、他の商品群から区別する標識としては何等の障害もないもので、通例他人が使用するものではないから、独占使用にも適すもので、このようなマークは特に識別力の強い商標(Starke Zeichen)と呼ばれ、使用するマークの選定には非常な努力がはらわれ、かつその使用法にあたつてもダイリユウジョンを生ぜしめないよう深い配慮が払われているものであつて、本件図形のように全国的に周知となつているマークにはさらに強い識別力を備えているものであることは経験則上あきらかなことである。

四、それがために各出版社においても書物の特に人目につき易いケースの背又は裏側、さらにはカバー等の位置に各社のそれぞれ個有のマークを表示し(疏甲第二二号証の一乃至三五参照)、かつ書物の広告宣伝に際しても、他の一般商品と同様にそれぞれのマークを人目につき易い個所に表示し、自他商品を識別し、その出所を表示しているものである(疏甲第二三号証の一乃至二六参照)。

仍つて、本件図形の如くマークが周知となれば、例えば、光文社のカッパのマーク、岩波書店の籾を時く人のマーク、新潮社のSの字のマーク、築摩書房の鷹をデザインしたマーク、文芸春秋社、有斐閣、青林書院のマークと同様に一般大衆はそのマークを附された書物を見れば直ちに特定の出版社(具体的に個々の出版社名まで判る必要がない。)を想起直感するものであり、附されているマークが同一若しくは類似であれば一般大衆は当然同一若しくは類似のマークを使用する出版社は、例え商号が異なつていても、同社は姉妹会社か或は同一資本の系列会社か、更には人的結合のある系列会社であると認識するのか通例である。

五、このことは、例えば、三菱系の各社はダイヤモンド印のマークを、松下系の系列会社はNとナショナルの文字を結合させたマークを、また太洋漁業系の各社は円内に「は」の字を配置したマークをと言う具合にそれぞれ同一のマークを採用し、需要者、取引者に対し、各社がそれぞれ同一の系列会社に属するものであることを称している多くの実例から判断しても明白である。してみれば、本件のように酷似するマークを書籍という同一の商品に使用する抗告人と被抗告人とは、通常何らかの繁がりがある系列会社であると一般大衆が認識すること疑いのないところであつて、現に原審において提出した疏甲第一〇号証に記載されているように現実に誤認混同が生じているにも拘らず、抗告人と被抗告人を明確に区別できるとした原決定は誤まつたものであると言わざるを得ない。

六、また書物の裏表紙、カバーさらにはケースの背、表裏面に附されるマークは前述のようにただ漫然と表示されているものではなく、出版社の営業標識として、また同じマークの附された書物の同一性即ち商品の同一性を表示するために使用される商標としての機能を併せ持つものであり、書籍以外の商品に使用されるマークの機能と何ら変るものではない。従つて、一般大衆が書店においてその本棚に並べられた多くの書籍の内から目的の出版社の書籍を選び出す場合に、出版社名は勿論のことケース等に附されたマークをもその手掛りとして目的の書籍を選定することも日常多く行なわれているところであり、また書籍は一日に新刊がおよそ五〇乃至一〇〇冊と極めて多数出版されており、各小売の書店で取次店から新刊書を持ちかえり書店の棚に並べる場合、書籍の題名は勿論大きな選定要素になるが、おしなべて売れ行きのよい出版社の出版にかかる書籍を優先的にその棚に並べるもので、その際題名の如何を問わず出版社を表示するマークを手掛りに入荷した多数の書籍から特定の出版社の書籍を選び出すことも通常行なわれているものであつてこの点原決定は書、籍に附されるマークの意義についてその解釈を誤つていると言わざるを得ない。

七、また既に詳述したごとく各出版社においては、マークの選定には慎重な配慮を一層その使用法にも充分な注意を払つており、数多く存在する出版社において互いに類似するマークは一社もないと言う出版業界において、敢えて抗告人のマークと類似するマークを同じ出版物である書籍に使用していることは、出所の混同を一層惹起し易く、類似のマークを使用するという行為は明らかに特定人の営業上の利益を害するフリーライドであり、被抗告人の不正競争行為を証明するものに他ならない。

八、被抗告人がその出版する書籍の一部に本件図形の『フクロー』のマークを使用していることは、例えその故意過失の有無は別問題としても、これを客観的に観察すると矢張り抗告人が永年に亘つて築き上げた声価の表現とみるべきものを無断且無償で使用し、これにより世人に対し抗告人と被抗告人があたがも同一の系列会社の一環であるものの如く誤信させる虞れのあるマークを使用し、抗告人の経済的利益を害する危険を生ぜしめる行為は信義則に反し、公正な競争を害し取引秩序を紊す反倫的行為であると断ぜざるを得ない。

更に被抗告人のこのような行為を放置することは抗告人が営々として築いた信用を稀釈化するものであつて到底観過ごすことはできない。

九、以上のとおりであり、原決定は、これを取消し、抗告人申請の趣旨とおりの御裁判をお願い申し上げる次第であります。

別紙物件目録(一)<省略>

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